散髪 | 随書雑感

随書雑感

のんびりが好きなぴっぷのひとりごと。社会保険関係や労働関係のニュースを取り上げつつ,基本的には日常雑記です。

はじめての関西での夏を経験し,
暑さにいささかやられた感も残りつつ。
それでも季節は着実に秋の気配を肌で感じるようになり,
まだまだ日中は日差しが強いものの,「天高く」と秋の空が比喩されるように,
どこか優しげな様子だったり。
 
義母の膝の人工関節の手術が近づくなど,
なにかと,今月末からは,また少し違う生活ペースになるので,
その準備というか,心構えを構築しております。
 
前回,散髪に行ったのはいつだっただろうと,
携帯電話の画像データを確認してみる。
(毎回,散髪のたびに,自画撮り写メを妻に送信しているのでw)
 
7月26日に行ったきりだったから,8月は散髪にいっていないことになる。
8月は,4月からはじめた生活も4ヶ月目を迎え,ちょうど慣れはじめであり,
そして,どこかしら溜まっていた疲れや諸々の膿のようなものが,
出しきった時期でもあり,体調もあまり芳しくなかったなぁと振り返る。
そういう意味では,毎年挑戦している資格の試験というのが,
ひとつの分水嶺としての機能を果たし,あの受験を契機に,
少しづづ,自分らしさを取り戻していったような。もちろん,そこには,
自力だけでなく,少なからぬの支えがあって乗り切れたと感じている。
そう思うと,改めて良い妻に恵まれ,良い環境にいたことを自覚する。
 
9月に入り,しばらくして「髪のびたなぁ」と感じた。
それは朝起きて,洗面所の鏡に写る34歳の男,私自身を眺め,
横髪が跳ね具合ともみあげの太さで実感される。
 
私はあまり冒険する性格ではないので,よほどのことがない限りは,
床屋を変えることはない。
 
幼少期は,バスを乗り継いで,祖父母宅近くの床屋に中学生になるくらいまで
通っていた。思春期を迎え,やや遠くまで散髪にいくことを面倒がり,近所に変えた。
大学時代は,色気づいたこともあり,一時美容院なるもので,それでもほとんど
自毛と変わらないくらいの濃い茶色に髪を染めたりもしたが,それもいつしか,
1500円前後の「大衆理容」,ことさら就職してからは,そこだけだった。
北海道に戻ってからは,車で少しのショッピングモール内の床屋に落ち着いた。
 
そして,関西に来てからは,近所の,歩いて3分くらいのところにある
雑居ビルの奥にひっそりと佇んでいる,わざとレトロちっくにしているような
コジャレた理容店ではなく,本当に使い込んでレトロになっている理容店を利用している。
西暦2000年以前のJ-POPがかかっているのも良い。
(きょうは,「燃えろいい女」「空も飛べるはず」「贈る言葉」等が流れていた。
時々,メジャーな演歌も流れているのが良い)
 
ここは,結婚する前,はじめて訪れた時にチェックしていたところでもある。
 
おそらく,この理容店を利用している最年少ではないだろうか?と思えるくらい,
私より若いお客を見たことがない。カット・髭剃りで1500円。シャンプー入れて
1800円ちょうどなので,いつもシャンプーをお願いしていたり。
 
きょうは,土曜日だから,少し混んでいるかなぁと思ったが,
ここに通って5回目になるのだが(次回行くと500円割引になる!),
座席に座って待ったことがないのも,良い点である。
近年,低価格帯の理容店が数多く存在する中で,お店によっては,
かなり待つことも多いのだが,ここはいつもスッと散髪の席に行ける。
 
午後1時を少し過ぎたばかりであったが,「お!座って待ってる人がいる!」と
思うも,それはすべてこの店の従業員というのが面白かった。
 
それでも,不思議なのだが,私が散髪をはじめて間もなくすると,
次のお客さんが来て,私が帰るころになると3人のお客が来ていた。
けっして,閑散としているわけでなく,たまたまそういう巡りあわせが続いているのだろう。
 
はじめて,この理容店に行った時は,理容師さんから話しかけられることはなかったが,
2回,3回と行くうちに,よくある「床屋の会話」をするようになった。
きょうは,涼しくなったこと,朝日新聞の「吉田調書」に関する騒動,
鹿児島の桜島のこと,温泉のこと,福井のお米ことなどが話題になった。
 
私は,こういう話題に接する時は,どちらかというと「聞き役」がよい。
流れるような関西弁の心地よさ,この理容師さんの話し声は,うるさすぎることなく,
さらっと静かであり,それでいて低すぎることも,高すぎることもなく,
耳に心地よく響いてくるのである。
 
概ね散髪が終わると,髭剃り・シャンプーに移る。
この順番は,時には前後する。きょうは,後から髭剃りであった。
 
散髪する時は,メガネを外すので視界がぼやけており,
お店によっては,けっこう散髪というのは,苦痛であったりすることもある。
目が見えないということは,それだけで不安になるものだったりする。
目が良かったなら,切り落とした髪の毛を見て,白髪が増えたなぁとか
じっくり観察をしたいところなのだが,それもできない。
 
髭剃り・シャンプーと担当の人が変わって,ふと思ったことがある。
 
「この人,ひょっとしたら毎朝すれ違っているおっちゃんじゃないかな」と。
 
結婚して,妻の仕事のある日は,行く時,帰宅時は駅まで送り迎えをしている。
毎回,お手手をつないで,駅まで行くのだ。休みの日以外毎日送り迎えしていると,
だいたいその時間に通勤している人で,印象に残る人は残る。
 
ぼやけた視界からも,ちょうど朝,私達とは反対方向からとぼとぼ歩いてくる人だな,と。

「ああそうか,この人はここの人だったのだ」と。
 
理容師さんと比べて,この人は寡黙な人でもある。
そして年季の入った仕草で,私のヒゲを剃り,もみあげを整え,
洗髪し,床屋ではおなじみのマッサージをしてくれ,整髪をしてくれる。
 
そして,終わると一言「おおきに」と。
 
料金を入り口で支払い,ポイントカードにハサミの形をした判をもらい,
「次回,500円割引になるよ」と言われ,嬉しくなる。
 
散髪した後というものは,実に気持ちが爽やかなものであり,
理容店から出ると,散髪したばかりの少しの気恥ずかしさがある。
9月の柔らかな陽気は帰路を軽やかにする。
 
いじょ。